1950年代のレンズ固定レンジファインダー付き高級機「クラシック」コニカは、 1956年にIII 型にモデルチェンジした。当時はフィルム巻き上げとシャッターチャージの連動が確立しておらず、巻き上げ型には各社色々な方法があった。このKONICA III はレンズについたレバーを左手の親指で2回押す形式である。のちの主流になる右親指によるフィルム巻き上げレバーの方が優れているが、これはこれで左手に操作を集中させた優雅な方法だ。
KONICA III は1958年にIII Aにモデルチェンジする。巻き上げ機構はそのまま、レンジファインダーを世界最高水準に高性能化させた。当時の価格は34,900円、大卒初任給の2倍を超えていて、国産他機種と比べても高価である。ちなみに似たスペックのカメラでいうとAires III は24,500円とだいぶ値段の差がある。
今回取り上げるのは、伝説的なIII Aではなく、それとほぼ同時に発売されたIII 2.4である。モデルチェンジ前の旧型のボディに、レンズは半絞り暗い新設計のHexanon 48mm f2.4を組み合わせた廉価版だ。生産台数の少ないマイナー機種でレンズ構成が不明であることから興味を持ち、格安のジャンクを手に入れた。
レンズ構成は不明であったが、LED光を当ててみると、絞りから前は大きな6面の反射があり3枚のレンズがあることがわかる。後ろ側は大きな反射4面と小さな貼り合わせ面の反射1面で、貼り合わせレンズのある2群3枚であった。
分解してみるとf2.4のレンズには贅沢な5群6枚のダブルガウス型であった。
前玉も直径24mmの大きさがあり、やはり性能優先の贅沢な設計だと思う。もともと安かった他社製品と価格勝負ができるとは思えない。新型IIIAの評判が良かったこともあって、販売は伸びず、Konica III 2.4はマイナー機種となったようだ。
この2年ちょっとあと、1961年初めに同じく高級機メーカーだったキヤノンがキヤノネットを18,800円という低価格で発売する。それによって高価格マーケットは破壊され、それ以降は低コストなモノづくりが厳しく求められるようになる。
1950年代のカメラは贅沢な作りだったのだ。
デジカメに付ける改造は、まずレンズを外すことから始める。コニカのボディ後ろ側から、レンズを留めているm25ねじリングをカニ目レンチで取り外せば、レンズは外すことができる。(カニ目レンチは、ダイソーの丸ペンチの先を尖らせたものが剛性が高く、廻しやすくて気に入っている)点光源を撮るとコマ収差がでている。開放撮影時にちょとフレアがかる原因なのだろう。
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