大口径レンズを持つコンパクトカメラの歴史ロマン  と、オールドレンズの改造 A Historical Romance of Compact Film Cameras with Large Aperture Lenses.


かつてフィルム時代、コンパクトカメラに高級な大口径レンズが搭載された時代があった。

1950年代半ば、コンパクトな35mmフィルムが一般化して、生活のなかでカメラが使用できるようになった。当時はまだ白黒フィルムだったが iso100を超える高感度フイルムが普及して、大口径レンズならば屋内や夜でも撮影可能になった実際にはf1.4の口径が欲しいところだが、そうするとレンズが大きくなり、汎用品のレンズシャッターユニットも苦しくなる。コストもかかるのでf1.8、f1.7のレンズが多く製品展開された。

カメラも口径比のスペックが決まれば後はコスト競争になる。大口径レンズ時代は、露出を自動化しながらカメラの価格競争であり、多くのメーカーを淘汰しながら1975年まで続いた。

1975年で終わる原因は、フラッシュを内蔵した「ピッカリコニカ」が発売されたことだ。暗いところではフラッシュをたけばよい、ということでコストのかかる大口径レンズは必要なくなり、これ以降、低コストで合理的な中口径レンズがコンパクトカメラに搭載されることになる。

フラッシュをたけば良く写るが、性能を追い求めた大口径レンズには技術者のロマンが写る。ここでは時代背景を考えながらロマンあふれたレンズ固定式コンパクトカメラの大口径レンズについて、現代のデジタルカメラでその写りを検証しながら展開していきたい。


大口径コンパクトカメラの幼年期(~1955)

1934年から1958年まで発売されたコダック レチナは折り畳みできるコンパクトボディで、ライカのレンジファインダー機の1/3の価格で販売された大衆機。とはいえ、戦後の日本人には高額で一般的ではなかった。高級バージョンでは50mm f2.0のレンズを持つ。

Kodak Retinaは多くのバリエーションを持ったが、高級仕様はf2.0のレンズが付いた。これはシュナイダー製f2.8レンズの廉価版。

国産メーカー参入による成長期(1955~1961) 

1955年前後から国産メーカーがレンズ固定式35mmコンパクトカメラに参入する。そして距離計連動技術と合わせてレンズの大口径化がはじまった。



1955 OLYMPUS 35-s 1.9

G.Zuiko 4.5cm f1.9 できたばかりの国産高性能光学ガラスで5群7枚の贅沢なレンズ構成を採用した。当時のカメラテストでも高評価を得た名レンズで時代をリードした。(デジタル作例)



大きなフィルムカメラを得意としたマミヤはこの時代、数多くの135フィルムモデルを開発した。セコールレンズの性能が良く、気に入ったので手に入りやすいものを集めた。
1957 MAMIYA35S



1958 MAMIYA 35 Metra
この世代の4.8㎝ f1.9レンズは、独自のレンズ構成を持っている。大きなフィルム用に使われるオルソメター型に近いレンズ構成だ。立体感のある写りは大変素晴らしい。→デジタル作例


1960 MAMIYA 35S2
同じ48mm f1.9だが、レンズ構成はランタンガラスを使ったダブルガウスに変わっている。このレンズの写りも良い。→デジタル作例



ペトリカメラは創業1907年の老舗。1950年代前半はスプリングカメラや二眼レフ、後半にはレンズ固定式のレンジファインダーカメラを展開した。1956年から大口径Orikkorレンズ付きも販売している。

1960 PETRI 1.9
Orikkor 4.5cm f1.9  ペトリは1960年代後半に低品質なまま安売りをする失敗をし、ブランドを毀損した。その悪い印象が強いが、レンズ自体の性能は高く良い写りをする。このオリコールも味わい深いボケをする良いレンズだ。(デジタル作例)



ワルツは1961年に下記のキヤノネットの影響と工場への過剰投資で倒産した。工場投資はコパル社長の「友人としての」進言だったが、じつはコパルはキヤノネットのシャッター開発をしていて、それが破壊的低価格で発売されることを知っていた。結果、倒産したワルツの工場は、差し押さえたコパルが業務拡大のために格安で手に入れた。この話は続きがあって、騙されたワルツの社長は、業界裏話小説を書いてこれも大成功をした。

1958 WALZ 35-SIII
S-KOMINAR4.8cm f1.9、日東光学製のレンズは、コストのかかる3枚合わせを2群も使ったゾナー型。少しあやしいボケと色のりの豊かな描写は使っていて楽しい。→デジタルの作例



1958 Lord SE
戦時疎開でトプコンとセイコーによってつくられた岡谷光学製。一流メーカーである。
ロードは40mmという焦点距離にこだわりがあって、SEはf1.9のレンズを搭載。



1959 FUJICA 35SE
このカメラのフジノン4.5㎝ f1.9は大変高性能で、当時の雑誌のテストで最高点を記録した。デジタルで撮っても高性能だ。→ デジタル作例 



1959 AIRES VISCOUNT
アイレスは1954年から積極的にコンパクトカメラを展開して人気があったが、1960年に倒産した。このバイカウントはアイレスでは一般的な45mm f1.9をもつ。



1959 Konica S

老舗のコニカは1950年代に高級レンジファインダーモデル Konica I , II, III と展開したが、50年代の終わりとともにコストダウンしたSシリーズに変更になった。
評判の高かったヘキサノン48mm f2のレンズを持つが、コストダウンしたカメラには面白みがあまりなく、特徴は、、、ちょっとおもいつかない、、、 



1960 YASHICA LYNX-1000

ヤシカリンクス1000はf1.8の明るいレンズを使いこなせる1/1000のシャッターを売りにした高級機だ。しかし、現在の話題はレンズに集中している。このカメラには2種類の同じスペックのレンズがあり、富岡光学とズノー製、伝説の2ブランドがそろい踏みしているのだ。デジタルで撮影してみると富岡光学製はシャープさが特徴で、ズノー製は妖しくも豊かなボケ味が特徴だ。→ 作例  高級路線だったこのシリーズは、次のモデルではさらなる大口径レンズf1.4を搭載する。

1965 YASHICA LYNX-14

フィルムコンパクトカメラ史上、最大口径を持つに至ったリンクス14。口径に制約のあるレンズシャッターの影響もあり、そのレンズはもはやコンパクトといえないほど大きい。とはいえ設計に無理はあるようで、開放からシャープな描写というわけにはいかない。(作例)







成熟期の競争激化(1961~1975) 

1961年にキヤノネットが発売された。大手メーカーのブランド力と「普通の人でも買える」圧倒的な低価格を実現した生産力が、カメラ業界にショックを与えた。この動きについていけないメーカーは次々と淘汰されていくことになる。


1961CANON CANONET


https://global.canon/ja/c-museum/product/film41.html



1961 MAMIYA RUBY STANDARD

キヤノネットの低価格路線にいち早く対応したのがマミヤ ルビーだ。内製だったセコールレンズを日東光学に外注することで大幅なコストダウンを実現させた。コスト優先の日東光学製レンズ(48mm f2)の写りは悪くない。→ 作例 



1962 MAMIYA 35 AUTO DELUXE 2

マミヤのオートデラックスは1960年に1型がでて、これは2型。キヤノネットの低価格に対して、より明るいレンズで高性能な差別化ができている。5群7枚の贅沢なレンズは、良く写る。→ 作例 このシリーズはこのあとf1.5まで大口径化した。



1962 OLYMPUS-SC
オリンパスの洒脱なイメージはまだなく、無骨なカメラである。
この世代のオリンパスは多くのモデルを生み出していて、代表的なZuiko4.2㎝ f1.8は5群7枚の贅沢な構成をもつ。バランスの良い描写をするが、このカメラのレンズはすこし曇っていた。 → 参考になりにくい作例 

古いズイコーレンズは曇りがちである。良いレンズなのにもったいない、ということで強引に曇りどりをしてみた。(作例)


1963 MINOLTA HI-MATIC 7

https://www.kenko-tokina.co.jp/konicaminolta/history/minolta/1960/1963.html

ジョン・グレンが宇宙に持って行った「宇宙カメラ」。NASAのフレンドシップ7号から「7」がついている。写りも良く、ミノルタロッコールらしい繊細な描写をする。→ 作例 



1964 FUJICA 35 V2

フジカ35シリーズの最終機で名機という評価がある。4.5㎝ f1.8のレンズも高性能で、フジフィルムのコンパクトカメラのレンズでは最も評価の高いものの一つ。ただスペックは地味である。


1965 RICOH SUPER SHOT

スプリングによる自動巻き上げを特徴としたカメラ。レンズは43mm f1.7と明るく、期待の持てる富岡光学製。よい写りをするレンズだが、被写界深度の浅い描写が特徴的だ。  →デジタルによる作例




1966 YASHICA Electro35
f1.7の明るいレンズを持つのだが、モノよりコトが大切。「ろうそく1本の光でも写る」「落としても壊れない」というユーザーベネフィットをコピーにして大成功をした。頑丈なプレスボディは丸みを帯びていて、宇宙的でかわいいデザインになっている。



1967 Konica auto S1.6

https://www.kenko-tokina.co.jp/konicaminolta/history/konica/1960/1967.html

4.8cmレンズのスペックをf1.6と0.1だけ明るく差別化したカメラ。

デザインも写りも都会的なイメージがある。→ 作例 



立派な見た目は必要なくなり、コンパクトで手軽になった1970年代

1969 CANON CANONET QL17

マーケットを変えたキヤノネットの3代目。このころからカメラの大きさが一回り小さくなる(それによってハーフサイズカメラのマーケットが消滅した)

40mm f1.7のレンズは、キヤノンらしく発色が大変よく、しかも抜け良く立体感もある良いものだ。 → 作例 


1972 RICOH ELNICA35





1971 OLYMPUS 35DC
ZUIKO40mm f1.7は、癖なくバランスよく写る。このバランスの良さがズイコーの特徴なのだろう。 → 作例 



1973 YASHICA Electro35ccn

1970年の35㏄のマイナーチェンジ版。35mmの広角でf1.8の明るさをもつ。富岡光学製のレンズは、特殊なスペックを感じさせない良い写りをする。 → 作例 




1975 YASHICA Electro35 GX
富岡光学製の40mm f1.7は、シャープで立体感のある素晴らしい描写をする。→ 作例 




衰退期(1975~):大口径コンパクトカメラの終わり

1975年のピッカリコニカによるパラダイムシフト。暗いところで失敗なく写真を撮るには、フラッシュ内蔵のほうが大口径レンズよりも効果的であった。これ以降コンパクトカメラにおける大口径レンズは姿を消して、合理的な中口径レンズが搭載されるようになる。

https://www.konicaminolta.com/jp-ja/corporate/history-timeline-2.html
38mm f2.8のスペックは、テッサータイプ3群4枚のレンズで全く問題のない写りをする。被写界深度も深いので、目測ゾーンフォーカスが使いやすい。



1981 CANON AF35ML
何事も例外がある。何度もマーケットを変えたキヤノンが、大口径レンズにこだわりを見せて、AFコンパクトカメラに40mm f1.9のレンズを搭載した。しかしせっかくの大口径レンズもこの時代のオートカメラでは効果的に使えなかった。
デジタルカメラにつけてみるとレンズ自体は良い写りをする。→ 作例  









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