今回のテーマは1955年発売のカメラOLYMPUS 35-s 1.9である。
その一年前、1954年におきたカメラ業界の激震から話を始める。 近代カメラの始まり、ライカM3が発表されたのである。
その完成度の高さから、日本のカメラメーカーはそろって模倣をした。
一例として「巻き上げレバー」に注目したい。これはフィルム巻き上げとシャッターチャージを行うレバーで、この形になるまでには様々な試行錯誤があった。(ノブ式、裏面レバー式だけでなく、左手レバー、トリガー式いろいろあった)
この右手親指巻き上げレバーは、ボディ後ろ側の親指用グリップにもなっているのが画期的であった。うまくデザインすると、片手で持ったまま安定して高速巻き上げができるのだ。これがアドバンテージになり、このM3以降、ほとんどのカメラが「右手親指巻き上げレバー」になっていく。じつはこのレバーの発案はコダックで「レチナ式」と呼ばれていたが、多くの日本のメーカーはライカ同様のノブ式を採用していた。だが、ライカM3が採用すると次々とレバー式になった。
そんなライカM3最大の特徴は、高性能とあわせて高価格だったことだ。戦勝国で好景気のアメリカでさえ平均月収と同じくらいの価格であった。
つまり同じくらい高性能で、ライカよりも安く作れれば「アメリカ輸出」できる可能性が出てくる。ライカよりもブランド力はないが、戦争の記憶からアメリカには「ドイツ嫌い」も結構いたはずだ。
そのような背景から、日本のカメラメーカーは1955年から、f2それ以上の明るいレンズを搭載した、より高性能な距離計連動機をつくり始める。基準はライカだからコストは充分かけられる(これは私の想像)。この日本製カメラのパラダイスは、1961年にキヤノンが「キヤノネット」で価格破壊をするまでつづいた。
そんな黄金時代をリードしたのがこのオリンパス35-s 1.9 だ。f2級の明るいレンズはアイレス35IIIについで2番めだが、そのG.Zuiko 4.5cm f1.9は、できたばかりの国産高性能光学ガラスをふんだんに使い、贅沢な7枚構成で高性能を目指した。当時のカメラテストでもライカの「ズミクロンに最も近い」と言われるほど評価されたらしい。(「会計士によるバリューアップ クラカメ趣味」さま http://blog.livedoor.jp/toshioimawaka/archives/5219087.html )
1955年の広告からトレースしたレンズ構成図。変形ガウスタイプだが、後玉が貼り合わせになっているのが珍しい。当時のズミクロンを前後反対にしたような構成だ。
この名レンズをジャンクカメラから外して、デジタルカメラ用にする。
カメラ後部からレンズ固定用のM25ネジを外せば、レンズは外せるはずなのだが、固着していて回らない。がんばったけど回らなくて、どうなっているかよくわからない。
後ろからは諦めて、分解は前から行った。ヘリコイドのストッパーを外して、分解してレンズを外す。オリジナルのヘリコイドは使わないことにして、M42ヘリコイドアダプターを使う。このほうが改造が簡単だ。ヘリコイドは結構伸びるので、クローズアップにも強い。
クラシカルな四角いフードがいい感じだ。レンズは前玉表面がカビ傷みたいになっているが、それ以外はクリアだ。オリンパスのオールドレンズは白濁しているものが多いので、クリアだと嬉しくなる。さっそく撮影だ。
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