良き大口径時代のマミヤ・セコール MAMIYA AUTO DELUXE2 Mamiya-Sekor 48mm f1.7




1961年製のマミヤ オートデラックス2である。オートといってもオートフォーカスでも自動露出でも無い。自分でフィルムを巻き上げてメーターを見ながら露出を合わせ、ファインダーでフォーカスを合わせてシャッターを切る。この一連の動作がスムーズにできるような工夫に、オートと名付けているようだ。この前の年に「1」がでて、わずか1年で新型「2」に変っていて、進化のはやさを感じる。
    国産カメラは技術の進化を続けて、1960年代になると露出の自動化が一気に進むことになる。ここでかじを切ったのがキヤノンで、露出自動化とともに技術革新をコストダウンに全振りしたキヤノネットを1961年に発売、低価格で破壊的にマーケットを変えた。
   マミヤもその影響を受け、キヤノンと差別化するしか生き残ることはできなくなる。その一つが大口径化だ。ついにはマミヤはバランスを欠いてまで大口径化したf1.5を出すが、そんな恐竜は滅びる運命にある。そうして、展開していたマミヤ35シリーズは幕を閉じることになった。
このマミヤセコール48㎜ f1.7は、そんな大口径化戦略の中核レンズである。
コストダウンの嵐の前に開発された、その大柄なボディとコストをかけた5群7枚の構成は、豊かな写りをしてくれそうだ。






レンジファインダーカメラは、最短撮影距離が遠いという問題を持っている。それでは楽しめないため、オリジナルのヘリコイドは使わず、m42マウント用のヘリコイド中間リングを使う。

この時代のレンズシャッターカメラはシャッターユニットは汎用品で、どれも同じ25㎜ねじの取り付け構造を持っている。ここに25-42のステップアップリングをつけるとm42マウント化はできる。
隙間をお化粧して、Eマウント用に改造できた。さて、撮影は不要不急なことなので、遠くに行かないで家の周りにしてみよう。



絞りは開放。公園に落ちていたピーマンは椅子ぐらいの大きさがあり、座ることもできる。とボケてみる。レンズのボケはシャボンボケで、中間域がグルグルする。中間域がグルグルするのは妙な立体感が出て悪くない




開放だと大きくボケるが、ボケは暴れ気味。主役が飲み込まれそうだ。
少し絞れば、描写は落ち着く


月夜の花桃。iso6400

開放だが、このくらいのボケの暴れは気持ちいい。



近所散歩だと、被写体は中近距離で植物ばかりになった。
中間域がグルグルするボケは、マミヤセコール50㎜ f2.848㎜ f1.9と共通の特徴だ。
立体感もあり、フォーカス部が浮きだす描写は、けっこう気持ちがいい。

良いレンズだと思うので、また撮ってみよう。





















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